今日は皆さんにぜひご紹介したい映像があります!あまりにも細長い形状の成賀島、果たしてその存在意義とは?予想外の歴史が背後に潜んでおり、島の形が時の流れと共に変わってきたことに驚かされました。
ある視聴者は、成賀島を訪れた際の懐かしい思い出を語り、地域の清掃活動が功を奏したことへの感謝の気持ちを述べています。もう一人は、軍事目的で築かれた要塞の歴史を振り返りつつ、当時の観光地としての賑わいを懐かしんでいます。こうした視点から見ると、成賀島の今と昔のコントラストが本当に興味深いです。
ぜひ、この映像を通じて成賀島の魅力に触れ、歴史と自然が織りなす独自の風景を体験してみてください。あなたもこの島の魅力に引き込まれることでしょう!
1.平成6~8年に、仕事で成ヶ島に行ってました。とても懐かしいです。地震計と地質調査の仕事でした。潮が引きかけて作業船が浅瀬に底をついて動けなくなり、皆であわてて膝まで海につかりながら、船を押して飛び乗り、エンジンをかけて走り出して難を逃れたのも懐かしい思い出です。
当時は流れ着いたゴミで結構大変でしたが、平成15~16年頃から地域の方々やボランティアの方々の清掃活動が行われる様になり、だいぶきれいになった様です。これらの方々には感謝です。新しい石碑を見ると平成20年とあり、この頃にきちんと整備された様で、久しぶりに成ヶ島に上陸してみたくなりました。
2.元の者ですが対岸の由良では皆成山と言います。昔は国民宿舎があり日本各地から自然学校のような感覚で来島していたものです。親類がその宿舎で働いていました。まだ明石大橋も鳴門大橋も無かった時代、対岸の漁師町の人間からすればもの珍しい観光客が無人島で一晩・・まああの島も色々ありました昔は。因みに由良側の灯台付近、生石埼では戦前にレンガの要塞が築かれ終戦後の米軍統治下にほとんどの施設が進駐軍に爆破解体されましたが今も残骸が残っています。
3.長崎も、戦時中は対馬が要塞化されていて、北端の豊砲台には天城型戦艦だった赤城の空母化に伴い不要になった41㎝連装砲が設置されていたと聞きますな
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