皆さん、こんにちは。今日は東日本大震災を題材にした、心を揺さぶられる実話をお届けします。あの日の記憶と、家族の絆の尊さを改めて感じさせる内容です。
物語の中心にいるのは、当時中学生だった一人の少女。卒業式の練習中に突然襲った大地震、押し寄せる津波、必死に避難する子どもたち。彼女は弟と共に生き延びましたが、その過程で父親との最後の記憶が刻まれることになります。逃れられない悲劇の中で紡がれる家族への想いと絆は、読む人の胸を強く打ちます。
ネット上では「お父さんと喧嘩をしたまま大震災がすべてを奪った。最後の言葉が違っていればと何度も思う」という声や、「幼稚園の卒園式前日に母を亡くしたが、今も心の中で微笑んでいる」と語る人もいました。それぞれの体験が共感を呼び、この話が持つ深い意味を浮き彫りにしています。
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1.私は津波で母を亡くしました。その日は幼稚園の卒園式の前日でした。いつも通り、母の帰りを待っていたら地震が来ました。地震が来た時、私は母に作ってもらったプラ板を教室に置いてきてしまったことを思い出し、慌てて教室に取りに行こうとしました。ですが、先生に止められました。そしてすぐに津波が来ました。幼稚園の先生と一緒に家族を待ちました。父、兄が来ました。「ママは?」と聞くと「ママは…いなくなった。」って兄に言われました。私は言葉が出ませんでした。泣くことしかできませんでした。けどどんなに泣いても戻ってきません。お母さん、私は春から高校生です。制服はすごく可愛いの。お母さんそっちではどうですか。私は元気です。ありがとう。
2.中学生の娘がくれたキーホルダー。それを外したと言って怒ってくれる娘。お父さんは喧嘩したなんて思ってない、きっと。このやり取りを楽しんで、幸せを噛みしめてたと思う。だから、大丈夫。お父さんは喧嘩したなんて思ってない。
3.お母さんが、いつも家を出る前「何があっても行ってきます、は言いなさい。」って言うのはこういう事、かも知れないですね…
4.お父さん、3階建ての立派な家に住まわせてくれて有難う。お陰でこの子の弟さんが助かった。お父さん、ちゃんと家族を守ってくれたんですね。
5.わかります、私のお父さんも岩手に出張で行っていてちょうど津波が来たのが駅のホームにいた時でした。その瞬間逃げ出したそうです、そして20分後…ザバーと波の大群が父を襲いました、そして後日なんとか新幹線が岩手行きのやつが一本だけ走っていたのです。
すぐに行って捜索しましたが見つからなかったです、ちょうどその日は父の誕生日で、後日遺体で発見されました、なぜ誕生日が命日とかぶるのかわかりませんでした、しかもまだ35歳でした。みなさんは父の分まで生きてください
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