今日は皆さんにぜひ見てほしい不思議な映像があります!
京都市のど真ん中、裁判所近くにある「桑原町」。驚くべきは、この町が道路しか存在しないにも関わらず、京都の文化と歴史を背負って今も町名として存在し続けているという点です。その背景には、裁判所の移転、道路拡張、そして菅原道真にまつわる雷避けの呪文「くわばら」が深く絡んでいる…いや、気になりすぎますよね?
コメントでは、町の歴史を紐解いた視聴者が「かつて桑原家が住んでいた地、そして道真公の故郷である桑原に雷が落ちなかった」と驚きの由来を語っています。また、「町の境界線は公図で確認できる」との情報をもとに、地図を探る楽しさを強調している方も。時代の変遷や人の消えた町の数奇な運命には、ただの歴史を超えた奥深さを感じます…。
ぜひ、一見ただの道路が秘める「存在の意味」を追体験してみてください!予想を超える発見に、最後まで目が離せなくなるはずです!
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1.この場所は大正時代まで桑原家の邸宅があったそうです。 桒原家(桑原家、くわはらけ)は菅原氏の流れを汲む五条家庶流の家だったそうです。菅原道真には嫡男がいて、明治時代頃には高辻家、東坊城家、唐橋家、清岡家、五条家、桑原家 (江戸時代に五条家から分家) の6家に別れた。桑原家は江戸時代の公家の中でも最も困窮していた家の一つ。江戸時代に当主がたった一人の従者と揉め事を起こし、口論の挙句、屋敷内で殺害してしまう事件発生。 ウィキによると大正時代に当主による「うどん屋女房殺人事件」発生。昭和2年獄中で亡くなり家は断絶。1927年の朝日新聞の記事によると・・大正15年に親戚が引受人で当主は恩赦出獄。翌年、病で逝去。家は断絶。 お騒がせな一家だったようです。
2.ここらが縄張りの土地家屋調査士です。グーグルマップ記載の町域は結構適当ですね、実際の形状とも異なります。京都市の固定資産税課がネットで地番図公開しているので、中京区桑原町みると正確な町域わかりますよ。公図上でも地番図と大体同じ形状で1-1,1-2の2筆で構成されているようです。あと、古地図のはおそらく「來」ライじゃなくて桑の旧字体「桒」でしょう。
3.雷が鳴るとクワバラクワバラっていって落雷を避けることで有名な言葉で、道真公の居住地であった桑原から来ていることは知ってましたが今はこんな状態になってるんですね。
将門の首塚の件もありますし、ここもそうった言われがあるんでしょうね。
4.雷よけの呪文「くわばらくわばら」の語源でもある不思議な土地
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=o5kDdABqJ-A,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]